三内丸山遺跡は、縄文時代前期中葉から中期末葉(約5500年~4000年前)の大規模集落である。竪穴住居、高床式倉庫、大型竪穴住居11棟の他、780軒の住居跡等が見つかっており、平成12年に国の特別史跡に指定され、平成15年に出土遺物1,958点が重要文化財に指定されている。
遺跡から出土した栗をDNA鑑定したところ、それが栽培されていたものであることなども分かり、多数の堅果類(クリ・クルミ・トチなど)の殻、さらには一年草のエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどといった栽培植物も出土した。三内丸山の人たちは、自然の恵みに依存した採取活動ではなく集落の周辺に堅果類の樹木を多数植栽しており、一年草を栽培していた可能性も考えられる。
このことを通してこの遺跡の居住者数は数百人と考えることができる。それらは縄文時代の文化が従来考えられていたものよりも進んだものでありことを示すものであった。遺跡は他の近くの遺跡に繋がっている可能性が高く、いまだに全容は把握されていない。
2014年09月09日(火) | カテゴリー: 活動報告 |
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