5月4日、多可町加美区市原においてれんげ・こうこうまつりが、開催されました。当初は、神河町の新田地区と多可町の市原地区との住民の交流から始まりました。今では、丹波市氷上地区を加えた東西3市町の取り組みとなっています。内藤・上野県議、戸田・山名町長、多可町・丹波市議会議長をはじめとする議員、藤井衆議院議員の参加で盛大に行われました。
こうこうまつりの謂れを次に紹介します。
丹波市(旧氷上町)と多可町(旧加美町)を結ぶ県道丹波加美線にはこんなエピソードがあります。
徒歩が移動の主体であった時代はこの清水坂越えの、この峠道は播州と丹波を結ぶ重要な生活道路として多くの皆さんに利用されていました。
ここに紹介する小春さんも、この峠道があったからこそ丹波から多可町へ養子に来られました。峠を通じての関係から、丹波市と多可町の縁組も活発で親戚関係の交流も多くありました。こんな道を通じた中で生まれたのが、小春さんの孝行の実話です。
今、多可町市原には、森安小春さんを讃えた石碑が残っています。そしてその石碑の横の訳文には、こう記しています。
森安小春さんは、小さいときに喜十郎の養子に来ました。生まれつきたいそうな孝行者で養父が右足を怪我をして切断手術をした時、それはそれは手厚い看護をしました。厳しい冬で養父が足をたいそう痛がったため、小春さんは火鉢で手を温めて一晩中痛みをやわらげてあげました。15歳の時です。これから小春さんの名前はたちまち評判になり、郡村の教育会から表彰され、また大正3年12月13日には実業の日本社から全国孝行節婦3人の中に選ばれて金百円を受けました。大正4年1月4日、兵庫県知事から木杯一組を賜りました。今、彼女のために有志で畠を買って、孝行畠として永らくこおのことを世に伝えようと思います。
多可郡長園田竹熊が頼みを受けてこれを書きました。大正4年4月25日 兵庫県多可郡長正7位 園田竹熊
と記した孝行畠の記念碑が、今も建立されています。地元市原集落では、この「孝行」を村づくりのコンセプトとして、全国に発信している「ちょっと照れくさい孝行メッセージ」の募集をはじめとして、孝行まつり、孝行の森づくり、孝行ロード等、すべての事業に「孝行」を前面に打ち出しての積極的に展開をしています。
2014年05月05日(月) | カテゴリー: 活動報告 |
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